2007年05月17日
格差社会というのは、極端な二面を生み出す構造が問題なのかもしれない。
出版社バイト掛け持ちで自殺、26歳女性に労災認定
労災認定に関するこの記事を読んで、そう思いました。
働けるのに親元に寄生して働かない人間が多くいる一方で、生活維持のために月150時間から200時間も超過労働し、挙句の果て、死に至る人間もいる。
「仕事への責任感」とか「失職の恐怖」といったものは、人を死に追いやるまでに追い詰めてしまう、恐ろしい作用・力をもっているんですね。
テレビで関係する番組を見ていたのですが、子供が過労で亡くなった親御さんの場合、子供にいくら「会社を辞めるようにいくらいっても、聞かなかった」とインタビューで答えていました。
こういう場合、外から救済するのは大変に難しい、肉親の言うことですら聞かないくらいですから。
そういう一途な人の責任感を一方的に利用する企業の意思というものがあることを、一方で働く個人は、学ばなければならない、と思います。
働く個人が持っているのは、ちっぽけなおのれの身体だけが、すべての資本ですから。
政治や経済の施策の作用で、極端にお金を持ち裕福に暮らす層と、仕事をかけもちし自殺に至るまで追い詰められる層との間で何らかの所得の再配分が起こりうることは、これまで同様、今後とも期待できないでしょう。
ならば、個人が自衛するしかない。
ただただ、健康で人間らしい生活を送れるように、過労で倒れたり、死んだりせぬように。
労災認定の基準を緩和していくことも大事でしょうが、これからの社会で生き抜くためにも、
・働くということには、多用な価値観が同時に成り立ちうること、
・自分の生存権を脅かすような労働価値観に対してははっきり「ノー」ということが必要なのだということ、
を、もっと一人一人が自ら学んでいかなければならない時代のように、思います。