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2007年10月02日

年金問題をめぐるやりとりが示した、ことばの使い方難しさ。

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<舛添厚労相発言>抗議文送った倉吉市長に激励メールや電話

社保庁職員の年金保険料の着服・不正受給問題で、舛添大臣が市町村は(社保庁よりも)もっと信用ならない」と発言。

それに対して抗議文を送ったり、抗議をする市長が出てきている、という話題なのですが。

大臣は、「自分のところに不正がないと言えばいい。大人げない」と反論し、これに対して市町村長は「まじめにやっている市町村職員の士気を、著しく損なうもの」と応じる。

まぁ、「市町村」という一般的単語で大枠をくくってしまったところが、誤解の始まりのような気もしますが。

市町村側の言い分も、わかりますよ。

自分のところではちゃんとやっているという自負があるにせよ、ひどいところと一緒くたにされて非難されたら、そりゃ抗議のひとつもしたくなるでしょう。
これは「大人げない」とかいう類のハナシでは、ないように思います。

しかし、こういう発言がメディアに踊るからこそ、市町村としても「他山の石」として自らを引き締めるプラス効果もあるわけで、発言が100%悪い、ということでもないというところが、またややこしいところかな、と。

しいて言えば、大臣ももう少し気を回して、「一部の悪質な市町村が」的に、せめて範囲を限定して発言をするべきでしたか。

実際はぶらさがりのインタビューで、頭の中を高速回転させて話しているんでしょうけど、自分の発言が100%失言と取られぬようにこなすのは、どの政治家にとっても難しいんでしょうね。

政治家の失言問題やそれによる辞任などが報道されるたびに、「なんでこういう事件を教訓にして、この人たちはもっと、発言に注意しないんだ?」と、ずっといぶかっていましたが。

最近ようやく、やはり失言を回避することはプロの政治家であっても至難の業なのだ、ということに気がついて、ワリと同情的にテレビ画面を見ていることが、多くなっています。

失言を恐れて政治的意見を出さないと、こんどは自分の政治家としての立場や評価、アイデンティティといったものが危うくなってくるわけで。

もちろん単に脇が甘いというケースも多いんでしょうけど、自らリスクをとって挑発的に行かざるを得ないときも、やっぱりあるんでしょうな。

舛添厚労相も、どうやら今以上のステータスを虎視眈々と狙っているようなフシがありますから、国民感情を計算して、言葉の押し出しを若干強めにしている、といったところでしょうか。

安倍内閣あたりから、政治家の発言・失言に対するメディアの追求が数段激しくなってきては気がしますが、この流れが福田内閣においても続くのかどうか、個人的には注意してみています。

正直、多少追求の手が緩んだような雰囲気が、感覚的にはありますが…。

メディアの世論操作的な側面を、安倍内閣の末期には強く感じていた人も、案外多いんじゃないでしょうかね。

失言だ、いや失言でない、というやりとりがあんまり紙面に踊っていると、もっとこの国にとって重要な多くのことが意図的に放置されているようで、なんとなくイヤな気分であります。

 

 

 


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