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2008年03月10日

がん情報をごく自然に共有する日本社会の成熟も、評価したい。

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<立花隆さん>がん手術の手記を「文芸春秋」で発表

立花隆さんが、ぼうこうがん手術の手記を発表されたそうです。

少し前の逸見政孝さん、そして筑紫哲也さん、そのほか何人ものジャーナリストや著名人の方が、自らのがんを告知し、それを公の場に共有情報として提供し、メディアを通じて伝えられることによって、多くの人の励みになっています。

ジャーナリストとしての職業的使命感からか、自分の身体を提供してできるだけ客観的に情報を世間に知らしめようとする行為は、普通の人間にとってはなかなかできないことであり、その姿勢には素直に感銘を受けます。

こういうのはたとえれば、自分の腹部がきられるような手術の進行状況を、モニタで画面をみながら、人に解説していくようなものじゃないでしょうか。

がんにおかされていく自らの身体を、自身の恐怖感を押し殺しながらつとめて冷静に客観的な目をもって情報提供しようとするジャーナリストの方が増えていることは、やはりそのような情報をきちんと受け止めようとする社会の一人一人の存在を信じてこそ、その行為が最大限に意味をもってくるのだと思います。

想像ですが、これが50年も前ならば、自分の身体の中で進行するガンを、情報の受け手となる社会と共有して考えていこうとする発想は、ジャーナリストの中にもなかったんじゃないでしょうか。

どちらかというと、「私事で仕事ができなくなって、世間の皆様に申し訳ない」といった、自分のことと社会とを切り離す姿勢が、支配的じゃなかったかと思うのですが。

そのような時代は、まだ社会の側も、がん患者を客観的にひとつの対象としてみがちで、社会や自分とその思いを共有する感覚が、まだまだ無かったのではないでしょうか。

しかし、これだけ闘病の記録を社会と共有しようとする著名ジャーナリストが増えてきているということは、彼ら自身の気持ちももちろん尊いわけですが、それだけ日本の社会が精神的に成熟してきていることを示しているような気がしてなりません。

がんと闘う人たちの気持ちを、この日本に生きるひとたちがいくらかでも自分のこととして受け止め、社会とのかかわりをそこに見出して、自分なりに社会に問いかけをすることによって、なにがしかの進歩を願う気持ちを共有する。

そういった声なき声が、この何十年間かで少しずつ社会に定着してきているのだと考えたいです。


日本は先進国ですがさまざまな問題も抱えていて、連日メディアでそれらが報道され、この国の先行きは大丈夫かな、と不安になることも、おそらくは少なくありませんよね。

しかし、こういう確かな成熟の証を感じる瞬間もあって、こういった感情を共有できる素地がある今の日本は、やはりなかなか成熟した国であるのだなと、思うのです。

 


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